自分の親が毒親と言えたら

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TL に毒親コラムを流してくれる人がいて読んだ。まだ若い方であった。親の話はどこまでも個人的で、孤独で、理解してもらうのを断念しながらも、つらくて話さずにいられない。毒親という言葉は強すぎる。一方的に親が生まれながらの悪人で、断罪する響きがある。毒親はそういうものではない。

愛でないものを愛と信じて子供を取り扱う。「愛情」が毒なのだ。

だから子供はどうしようもなく親を愛している。愛しているのに傷つけられて混乱する。毒親育ちがもっとも苦しむのは、「親を愛している」ことである。理解しようとする、わかってもらいたい、自分が悪いと思い込む。これを解除するのは本当に難しいことで、わたしにはできない。距離を取るのがせいぜいのところ。
大事やからや、おまえのためや。そう言い聞かせられて、それでも子供は「何かおかしい」と反応する。荒れるのも病むのも、逆説的なことに、子供の中の「生きる力」が働いている。わたしは実家で二十五年、ひどい状態だったが死ななかった。今、人間になりかけて振り返り、自分の「生きる力」に感動して泣く。

大げさだと言われることを恐れてできるだけ客観的に書く。父親は一部上場の団塊サラリーマン(最終役職は部長職で嘱託まで勤め上げた)でパチンコ依存症、母親は家事をしない専業主婦でクレーマー、家の中は年々散らかっていき最終的にゴミ屋敷。わたしと弟を育てた郊外の家(現在は空き家)を処分しないで死ぬそうだ。迷惑。暴力は一切なかった。