お弁当という傷

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昨夜また悲しみの箱(古いデカいボロい)が開き眠れなくなる。親からのメール一通で一週間引きずる。お弁当を作ってもらえなかったことを思い出す。市立中学校でした。つらい思い出だから記憶が定かでない(三十年以上前だよ)。朝炊き立てのごはんの上に茹でた鶏ささみが乗っただけのお弁当。色がない、味もない。炊き立てのご飯に蓋をすると、昼にはべったりと湿る。それをクラスの男子が気に入って、「ぐちゃ弁」と名付けて笑いに見にきた。わたしは一生忘れないよ、寺本君。「それ何がおもろいのん。もうやめようや」と止めてくれた仲間の阿部君も忘れないよ。キーボードを打つ指が震えてきた。そのお弁当も作れなくなると、母親が昼休みに食べ物を届けにきた。昼休みになり、生徒たちが一斉にお弁当を出す時、隠れるように教室を出て昇降口に行く。お弁当を作れない人が時間を守れるはずがなく、ギリギリになることもあった。「焼き立てのパンが買えたわ」、わたしはそれに感謝しなければならなかった。教室に戻るともうみんな食べ終わっている。急いで噛んで飲む。味がするわけがない。中学校は本当につらかったと思う(記憶がない)。県立高校になると食堂があり、毎日¥250 の焼き飯が食べられるようになった。今、自分のためにお弁当が作れないと、「お母さんも作れなかった、大変だったんだなぁ」と思わなければならない。そんなこと思いたくない。だからお弁当を作りたいんです。

一昨日の映画:『キスカ』大日本帝国海軍のダンケルク!