行年九十二歳

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父方の祖母が亡くなった(9/10)。25 年以上会っていない、知らない人。二親等とは思えない。昔、祖父が亡くなった時に、遺産相続で揉めたのだと思う、多分。子供だったから、何も知らされないまま、 真っ白な長い年月が経っていた。大正生まれ、行年九十二歳。長生きされた。
入院してそろそろ危ないと聞いてから、一週間での訃報だった。土曜日、喪服を用意して(洋服の青山)、日曜日(9/12)に新幹線に乗った。N700 系の車輌に乗るのは楽しい。何故ならそこは iPad QuietComfort 15 に最適な空間だからだ。走行音をかなりカットしてくれる。もちろん Wi-Fi。
午後四時半に新大阪駅に着く。Books Kiosk でモレスキンノートを買った。弟にメールすると、先にホテルに入っていた。ホテルは JR 尼崎駅前のホップイン。電源の多いホテルはいいホテル! 弟と母と合流。父はお寺で待機している。通夜が午後七時からで、弟は行くと言う。告別式だけのつもりだったが、付き合って行くことにする。弟の運転する車で、弟と二人で話すのはわりに楽しい。ここに父母が加わると、訳のわからないことになる。昔は美嚢郡吉川町(みのうぐんよかわちょう)といったが、市町村合併で三木市になっていた。通夜は関西では「おつうや」と言う。叔父、叔母、従兄弟三人に会うが、通り一遍の紹介だけで、あとは口もきかず。通夜ぶるまいがとても質素で、田舎のことだから仕方ないのだろう。九時半頃、辞す。弟が何か食べて帰る!と咆え、通り道のラーメン屋でラーメンを食べた、喪服で。ホテルに戻ったのが 23 時。
翌日 (9/13)、告別式は午後十二時半から。父の指令で午前十時に御膳が出るというので、三人(母、弟)でがんばって行ったが、助六だったよ……。告別式まで時間が余る。後で母方の叔父とそのご子息もいらっしゃった。告別式の宗派は曹洞宗だった。へぇ、農家なのに。
出棺の後、初七日までやるらしいが、父の指令でそこでご無礼した。伊丹イオンモールで着替え、JR 伊丹駅から帰る。弟と一緒だったので、新大阪駅でみやげをゆっくり見た。とん蝶が買えたら勝利なんですけどね。くくるは、店がなくなっていた。また大阪でたこ焼きを食べそこねた。
弟は小田原までなので別の新幹線。新大阪駅で別れた。弟にはいつも助けられる。